ラグビーワールドカップ(W杯)決勝トーナメント進出――ベスト8をかけてスコットランドとの運命の一戦に臨む”ブレイブ・ブロッサムズ”ことラグビー日本代表。
そんなラグビー日本代表の主将を務めるフランカー「(リーチ・マイケル)Michael Leitch」選手ってご存じですか?
屈強な男たちを止める鋼の肉体と強靱なメンタルを持ち、日本代表をプレーと激で鼓舞し、引っ張る選手です。
しかしそんなピッチの上での激しいプレーとは裏腹にプライベートでは非常に可愛らしい一面、素顔を持つ人物でもあります。特に結婚された妻との馴れ初めは必見!
というわけで今回はリーチ・マイケル選手についてチェックしていきましょう!
チェック!
- リーチ・マイケルのプロフィール・経歴
- リーチ・マイケルの実力は本物?なぜ日本代表を選んだのか?
- リーチ・マイケルと結婚した日本人妻の馴れ初めが可愛い!
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ラグビー日本代表・リーチ・マイケルのプロフィール・経歴
プロフィール
- 名前:リーチ・マイケル
- 生年月日:1988年10月7日
- 年齢:31歳(2019年10月現在)
- 出身地:ニュージーランド
- 身長:190cm
- 体重:105kg
- スリーサイズ:
- 血液型:A型
- 趣味・特技:
- 所属事務所:サンウルブズ(スーパーラグビー)
ラグビー日本代表として活躍するリーチ・マイケル選手は1988年10月7日生まれの31歳(2019年10月現在)。
”オールブラックス”の愛称で知られるニュージーランド代表を擁するラグビー強豪国ニュージーランド出身です。
そんなリーチ・マイケル選手がラグビーを始めたのは5歳のとき。
小学生までフランカーを務めていたお父さんの影響……ではなく、フィジー出身の母の「息子にラグビーをやってほしい」という想いを受けてラガーマンになりました。
15歳ときに父と母の負担を減らしたいという想いとニュージーランドから出たいという自らの意思から、母の反対を押し切って留学生として北海道にある私立高校「札幌山の手高校」に入学。
現在はラガーマンらしい屈強な肉体を誇るリーチ・マイケル選手ですが、このときはまだ線の細い選手であり、飛び抜けてラグビーの上手い選手ではありませんでした。
また来日当初は日本語もほとんどしゃべれない状態であったため非常に苦労したそうです。
しかしリーチ・マイケル選手は挫折することなく厳しい練習にも臆することなく挑み、当たり負けない身体を作るため、身体を大きくするためにびっくりドンキーでハンバーグを食べ、持ち前の精神力と下宿先の夫婦――日本の父と母――や友人、周りの人達に支えられながら乗り越えていったのです。
日本の父と母
留学生として来日したリーチ・マイケル選手は札幌のお寿司屋さんに下宿。日本の父と母と呼ぶご夫婦とは今も交流があり、日本代表のユニフォームを送ったり、年に1度はお店を訪れたりしています。
ちなみにリーチ・マイケル選手を日本へと送り出した父は(留学には)2年くらい行けばいいかなと思っていたそうです笑
高校卒業後はニュージーランドに帰国することなくそのまま日本の大学――東海大学に進学。
大学時代には全国大学ラグビーフットボール選手権大会で準優勝を果たすなどめきめきと頭角を現し、20歳のときにラグビー日本代表にも選出。
大学卒業後はラグビートップリーグ優勝5回を誇る東芝ブレイブルーパスに入団。
日本のラグビートップリーグで腕を磨いた後、2013年にラグビーの世界最高峰リーグである「スーパーラグビー」のチーフスへの期限付移籍が決定。
しかし左肘を骨折して契約を解除されると同年左足首も骨折。
長期離脱を余儀なくされると鋼のメンタルを誇るリーチ・マイケル選手もさすがに堪え、妻に「ラグビー辞めたい」とこぼしたそうです。
その後は妻の支えもあって復活を果たし、2015年に「スーパーラグビー」のチーフスに遂に加入。
2018年からはW杯を見据えてラグビー日本代表で構成されるスーパーラグビーのチーム「サンウルブズ」で活躍中です。
ニュージーランド出身のリーチ・マイケルは日本国籍を持つ日本人
高校1年生の時に言葉もろくにわからないまま来日し、周りの人たちの暖かいサポートを受けながらラグビーに取り組み、日本代表にまで上り詰めたリーチ・マイケル選手。
高校時代には既にラグビー日本代表入りを目指しており、高校時代の恩師とは「ラグビー日本代表のキャプテンになったら高校の外に銅像を建てて欲しい」なんて約束までしていました。
そんなリーチ・マイケル選手は高校時代にニュージーランドの実家が火事に遭った際に監督やチームメイトが募金を集めてくれたことなどから「日本への恩を返したい」とラグビー日本代表を選択。
ラグビー日本代表になるために必須ではない「日本国籍」も2013年に取得。
”日本人よりも日本人らしい”と称される心だけでなく国籍的にも日本人となったのです。
ちなみに有言実行の男・リーチ・マイケル選手はラグビー日本代表のキャプテンとなりましたが、銅像はまだ建っていません笑
スコットランドをボコる発言のラグビー日本代表「リーチ・マイケル」の実力は本物?オールブラックスにだって入れた!
「正直怖い」と言いながらも屈強な肉体を持つ男達の突進を鋼の肉体と鋼の精神で受け止め、攻撃時には堅い守りを諸戸もせずに挑みかかる「リーチ・マイケル」選手。
ラグビー最強の国と言っても過言ではないニュージーランド出身でありながら、日本国籍まで取得し、ラグビー日本代表として活躍している選手です。
ただ一部では「ニュージーランドでは代表になれないから日本代表を選んだんだろ」なんて心ない声もあります。
しかしそうではありません。
彼が日本代表を選んだのは前述したように「日本への恩返し」とニュージーランドでバカにされていた「日本のラグビーを変えたい!日本のラグビーを強くしたい!」という熱い想いからなのです。
現にオールブラックス(=ニュージーランド代表)のサム・ケインに「(リーチ・マイケルは)オールブラックスにだってなれた」、「(リーチ・マイケルは)オールブラックスとしてやれるだけの技術とメンタルを持っている」と言わしめたと言われています。
ニュージーランド代表になれないからでは決してありません。
世界一のチーム・オールブラックスの一員になるチャンスを捨ててまで日本代表を選んでくれたのです※。
※
ラグビーは選手が所属する協会重視(協会主義)であるため国籍を持っていなくても代表になれる。しかし1度ある国・地域の代表選手になってしまうと(ルール変更が行われない限り)もう2度と他の国・地域を選択することはできない。
つまり日本以外に母国を持ちながらラグビー日本代表を選んだ選手達は、母国の代表になることを諦めてまで日の丸を背負うことを、桜のジャージを着ることを選んでくれたのである。
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リーチ・マイケルと結婚した日本人妻・嫁との馴れ初めが可愛すぎる!
日本国籍を取得し、ラガーマンとしてだけでなく国籍的にも日本人となったリーチ・マイケル選手。
結婚相手の妻の「知美(さとみ)」さんも日本人です。
そんなリーチ・マイケル選手と結婚した知美さんの馴れ初め、気になりますよね?
二人が出会ったのは大学時代。そう、実は二人は東海大学の同級生なのです。
ただ出会った当初リーチ・マイケル選手は全くしゃべらなかったため、知美さんは「(リーチ・マイケルは)日本語がしゃべれないんだろうな」と思っていたそうです笑
しかし当然のことながらリーチ・マイケル選手は日本語がしゃべれなかったわけではありません。
高校時代、下宿先の天井に50音表を張り、今でもカラオケで歌うという細川たかしさんの演歌などを聴いて必死で日本語を覚えた努力の人なのですから。
ではなぜ知美さんの前で話さなかったのか?
実はピッチ上であれだけ激しいプレーを見せ、ラグビー日本代表を鼓舞するリーチ・マイケル選手ですが、とってもシャイなのです。
高校時代もバスケットボール部の1つ年上の先輩――背の高いボーイッシュな先輩に対してラグビーに実が入らなくなるほどの恋心を抱きながら告白できず。
そのため知美さんに対しても最初は話しかけることができなかったのです。
お化けが怖い
屈強な肉体を持つリーチ・マイケル選手ですが、実はシャイであることに加えてオバケが怖いという可愛らしい一面も。高校時代にチームメイトたちとホラービデオを見た際には怖くて夜、他のチームメイトの部屋で一緒に寝たそうです笑
告白するも
そんな奥手なリーチ・マイケル選手ですが、知美さんに勇気を出して電話で「好きです」と告白。
まんざらでもなかった知美さんも遂に交際することになるのかなと思っていたら「頑張るから」の一言と共に電話を切られ……え?どういうこと?付き合ってください……じゃないんだ?と呆然。
そのうち「付き合おう」って言ってくるのかな?と不思議な想いを抱えたまま一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎても連絡なし。
そんなリーチ・マイケル選手にしびれを切らした知美さんから「付き合おう」と告白し、二人は無事交際することになったのです。
ちなみに知美さんとの交際前、メールの文面は同じラグビー日本代表としてプレーする田中史朗選手に考えてもらっていたそうです笑
付き合ってと言わなかった理由
なぜリーチ・マイケル選手は「好きです」と言いながら「付き合ってください」と言わなかったのか?
実はちゃんとした理由があるのです。
リーチ・マイケル選手にも当然付き合いたいという意思はあり、「付き合おう」という最後の言葉は直接会って伝えたかったからなのだそうです。
しかしこのときリーチ・マイケル選手はラグビーの合宿中であったためなかなか会うことができず、最後の一言を伝えることができなかったのです。
結婚
「好きです」はリーチ・マイケル選手から、「付き合って」は妻の知美さんからになった二人。
2012年に結婚。
結婚の翌年に日頃ネガティブなことを言わないリーチ・マイケル選手が「ラグビー辞めたい」と言い出すほどの怪我を負うことに。
しかし知美さんの「ラグビー辞めても二人で働けばなんとかなるよ」の一言に救われ、食事面やマッサージのサポートを受けながら、現在も日本を代表するラガーマンとして活躍しています。